形が同じでも意味が違う

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  1. まず、「つもりだ」を使った文をできるだけたくさん考えてください。
  2. その後、下の表の少し専門的な言葉を確認してから、本文を読んでください。
  3. 本文を一度読んだら、音声を聞きながらもう一度読んでください。
  4. 次のページを見ると、本文中に出てくる学術的な言葉を見ることができます。

 

言葉 読み方 品詞
意志 いし 名詞 彼は困難に立ち向かう強い意志を持っている。
用法 ようほう 名詞 薬のパッケージに、正しい薬の用法が書かれている。
述語 じゅつご 名詞 日本語では、述語が文の最後にくることが一般的です。
前接する ぜんせつする 動詞 「このペンは書きにくい」の「にくい」に前接する動詞は「書く」です。

 

 

形が同じでも意味が違う
 
キーワード:言語学、意味分析、つもりだ、意志、思い込み
 
 初対面の人に「言語学を専門としています」と言うと、「たくさん外国語が話せるのですか」と質問を受けることがある。これは我々の世界では日常茶飯事である。夢を壊すようで申し訳ないが、外国語を複数話せる人はおそらくそんなに多くないし、下手したら「話せるという状態はどういう状態ですか」「何をもってある言語とある言語を別言語と数えますか」などとA逆に質問されかねない。「最近の若者が使う言葉は文法的に間違いですか」などと聞かれることもしょっちゅうあるが、これも結局、「そもそも文法には規範文法1と記述文法2というのがあってね・・・」と延々と熱く語られてしまい、質問への答えに辿り着く前に質問した側が疲れてしまうのがおちである。それでは言語学とは一体何をしているのかと聞きたくなるかもしれないが、これも当然答えにくい質問である。ここでは一つの例を挙げてお茶を濁すことにしよう。
 言語学の研究の一つに、形は同じなのに意味が違う語の研究がある。一つの例として「つもりだ」の意味を考えてみよう。多くの人が「つもりだ」は誰かの「意志」を表す表現であると考えるかもしれない。しかし、「つもりだ」は確かに「明日は勉強するつもりだ」のように「意志」の用法を持つ表現として使われるが、実際にはそれに限られず、「英語が話せるつもりだった」のように、「思い込み」を表す語としても使われることがある。まさに、見かけ上の形は同じだが意味が異なる語である。なぜそんな不思議なことが起こるのか。こうした問いから意味分析が始まるのである。
 問いが立ったら、観察と記述が必要である。まず「つもりだ」の意味が「意志」で使われる時はどんな時か、「思い込み」で使われる時はどんな時かを考え、言語データを観察する。すると、「意志」の場合は前接する述語が「意志的かつ非過去形」でなければならないという事実が見えてくる。なぜなら「{英語が話せる/勉強した}つもりだ」のように、無意志的な行為(「(英語が)話せる」)や過去の行為(「勉強した」)では、必ず「思い込み」として解釈されるからである。もちろん話はここまで単純ではないが、いずれにせよ大事なのはこうした観察結果を丁寧に記述することである。これが済んだら、次のステップとして、なぜこのような意味の違いが生まれるのかについて説明を与える作業に移る。「つもりだ」に関する多くの研究は、「つもりだ」は「思う」と似た意味を持っており、前接する述語の意味によって異なった意味が出てくるのだと主張している。この主張から得られるのは、「つもりだ」は一般に「意志」を表す表現として考えられているが、実は「意志」というのは「つもりだ」の意味において本質的ではないという意外な結果である。
 これで一見「つもりだ」の意味分析ができたかのように思えるかもしれない。しかし上記の説明は、「つもりだ」を「思う」に言い換えたにすぎない。したがって、「つもりだ」と「思う」の意味の違いは依然謎のままである。また、なぜ「つもりだ」にこのような用法の違いが生まれたのか、ここにも検討の余地が残されている。他にも考えるべきことが山ほどある。
 複数の観点から対象とする語や表現を分析することで、できるかぎり根本的な問いに答えること―これが言語学の醍醐味だいごみの一つである。
(執筆者:阿久澤 弘陽)

1規範文法:決められたルールに基づいて「正しい」「正しくない」を判断する文法。
2記述文法:言語の使われ方をそのまま書き記す文法。

 

  • 下は、読解本文に現れる学術共通語彙ごい(松下 2011)に色付けをしたものです。レベルごとに色が違います。
  • 学術共通語彙ごいは、学術的な文章を読むときに知っておくべき語です。知らない言葉があったらぜひ覚えて下さい。


 初対面の人に「言語学を専門としています」と言うと、「たくさん外国語が話せるのですか」と質問を受けることがある。これは我々の世界では日常茶飯事である。夢を壊すようで申し訳ないが、外国語を複数話せる人はおそらくそんなに多くないし、下手したら「話せるという状態はどういう状態ですか」「何をもってある言語とある言語を別言語と数えますか」などとに質問されかねない。「最近の若者が使う言葉は文法に間違いですか」などと聞かれることもしょっちゅうあるが、これも結局、「そもそも文法には規範文法1と記述文法2というのがあってね・・・」と延々と熱く語られてしまい、質問への答えに辿り着く前に質問した側が疲れてしまうのがおちである。それでは言語学とは一体何をしているのかと聞きたくなるかもしれないが、これも当然答えにくい質問である。ここでは一つのを挙げてお茶を濁すことにしよう。
 言語学の研究の一つに、は同じなのに意味が違う語の研究がある。一つのとして「つもりだ」の意味を考えてみよう。多くの人が「つもりだ」は誰かの「意志」を表す表現であると考えるかもしれない。しかし、「つもりだ」は確かに「明日は勉強するつもりだ」のように「意志」の用法を持つ表現として使われるが、実際にはそれに限られず、「英語が話せるつもりだった」のように、「思い込み」を表す語としても使われることがある。まさに、見かけ上のは同じだが意味が異なる語である。なぜそんな不思議なことが起こるのか。こうした問いから意味分析が始まるのである。
 問いが立ったら、観察記述必要である。まず「つもりだ」の意味が「意志」で使われる時はどんな時か、「思い込み」で使われる時はどんな時かを考え言語データ観察する。すると、「意志」の場合は前接する述語が「意志かつ過去」でなければならないという事実が見えてくる。なぜなら「{英語が話せる/勉強した}つもりだ」のように、意志行為(「(英語が)話せる」)や過去の行為(「勉強した」)では、必ず「思い込み」として解釈されるからである。もちろん話はここまで単純ではないが、いずれにせよ大事なのはこうした観察結果を丁寧に記述することである。これが済んだら、次のステップとして、なぜこのような意味の違いが生まれるのかについて説明与える作業に移る。「つもりだ」に関する多く研究は、「つもりだ」は「思う」と似た意味を持っており、前接する述語の意味によって異なった意味が出てくるのだと主張している。この主張からられるのは、「つもりだ」は一般に「意志」を表す表現として考えられているが、実は「意志」というのは「つもりだ」の意味において本質ではないという意外な結果である。
 これで一見「つもりだ」の意味分析ができたかのように思えるかもしれない。しかし上記説明は、「つもりだ」を「思う」に言い換えたにすぎない。したがって、「つもりだ」と「思う」の意味の違いは依然謎のままである。また、なぜ「つもりだ」にこのような用法の違いが生まれたのか、ここにも検討余地が残されている。にも考えるべきことが山ほどある。
 複数観点から対象とする語や表現分析することで、できるかぎり根本な問いに答えること―これが言語学の醍醐味の一つである。


レベル
green 初級 レベル0
royal blue 中級 レベルI
dark blue 中級 レベルII
goldenrod 上級前半 レベルIII
orange 上級前半 レベルIV
sienna 上級後半 レベルV
pink 上級後半 レベルⅥ
crimson 超上級 レベルⅦ
red 超上級 レベルⅧ

 

形が同じでも意味が違う

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